新コラム【たまゆらあーと】Vol.5
不滅のスタイル「ガブリエル・シャネル展」

皆さま、こんにちは。松井亜樹です。
『マダム・モネの肖像』(単行本2018年、文庫改訂版2020年、幻冬舎刊)では、クロード・モネと妻カミーユの出会いから別れまでを印象派誕生の軌跡と共に追いました。
こちらでは、開催中の展覧会やアートな話題をご紹介していきたいと思います。

三菱一号館美術館で「ガブリエル・シャネル展 Manifeste de mode」が始まりました。

ガブリエル・シャネルが世を去って昨年で50年。その出自、サクセスストーリー、恋愛遍歴、そしてスパイ活動など、いまだに多くの逸話が語られ、注目を浴び続けています。

同展は、ファッション以外の文脈で語られることが多かった彼女の、確かで素晴らしい仕事の数々にフォーカスすることで、その足跡の大きさを改めて感じさせてくれます。 少しだけ残念なのは、実際の作品ほど魅力的な写真は手に入らなかったこと。本物のシンプル、シック、エレガントな衣装の数々はぜひ会場で。ここでは、観覧のお役に立ちそうな情報をお伝えできればと思います。

「女の体を解放してやったの」

作品展示は、オフホワイトのジャージーアンサンブルから始まります。締め付ける部分はなく動きやすそうですし、デザインも洗練されていますが、これがなぜ新しかったのか理解するには、当時の女性ファッションについて少し説明が必要かも知れません。

ドレスとジャケットのアンサンブル   1922-28年 シルクジャージー

コルセットで胴を締め上げ、腰にはペチコートをときには幾重にも巻き付け、その上からボディスとスカートを着付ける。ヨーロッパでは、そんな女性服が中世から実に20世紀初頭まで続いていました。外出時はさらに、たくさんのボタンが付いた手袋を嵌め、大きな装飾の付いた帽子を結い上げた髪にピンで固定し、日傘を差す。

女性は、男性に手を差し伸べられなければ満足に歩けないほど、動きにくい衣装を纏ってきたのです。

自身も乗馬を楽しむなど、活動的だったシャネルは、男性のスポーツウェアに使われていたジャージーを女性の日常着に取り入れ、動きやすいように丈も袖も短く仕上げました。その例が写真のアンサンブルです。「私は女の体を解放してやったの」「女性が思い通りに振る舞えるようにすること、それが私の才能よ」と、彼女は語っています。 活動的な服は時代の要請でもありました。彼女がクチュリエとしてキャリアをスタートさせたのが1912年。第一次世界大戦(1914~1918)で、男たちに代わって働き手となった女性たちの社会進出により、「楽に動ける」服が求められることを、シャネルのアンテナは敏感にキャッチしたのです。

ドレスとスカーフのアンサンブル 1930年頃 プリントのクレープ・デシン

でも、これはまだまだ序の口。何しろ彼女は、「皆殺しの天使」とあだ名されるほど、19世紀的な価値観を葬り去ってしまったのですから。

「新しい女のための香り」

昨年、誕生から100年を迎えた香水「No.5」。世界で最も売れた、そして売れ続けている香水です。その誕生秘話も如何にも彼女らしい。

香水「シャネルNO.5」1921年 ガラス、木綿糸、封蝋、紙

バラやジャスミンなど、単一の植物から採られた香水が淑女のもの。ムスクなど動物性の香りは娼婦のもの。いつからかそう分けられてた香水の分類を、シャネルは笑い飛ばしました。「新しい時代の新しい女のための香りが必要」だと。

調香師エルネスト・ボーに依頼していた試作品が並ぶと、その中から5番目の瓶に入ったものを選び出します。「私の待ち望んだ香り」と言って。常々、5という数字に好印象を持っていた彼女は「運のいい名前だから」と、その無機質な記号をそのまま製品名にしました。

更にあのシンプルな瓶を考案します。ラリックやバカラなど、アーティスティックで精緻な小瓶に入った香水が主流だった時代のことです。当時のパンフレットには「製品が完璧だからこそ、ガラス工の技術に頼ることを潔しとしない」と書かれていました。けれど私は、あのシンプルなフォルムをシャネル自身が愛したのだろうと思うのです。こうして、かつてない配合、名称、瓶を用いた革命的な香水「№5」は1921年5月5日に発表されました。

「シャネルの5番よ」。 もちろん、マリリン・モンローのあまりに有名なこのセリフも人気に火を付けました。「何を身に付けて寝ますか」という記者の下世話な質問に答えたものですが、男たちはマリリンに夢中になり、女たちは№5に夢中になりました。シャネルはここから化粧品事業も拡大していきます。

ボブ・ビアマン撮影《「モダン・スクリーン」のマリリン・モンロー》 1953年

今も愛されるレガシー

リトル・ブラック・ドレス。ワードローブの中に、誰でも1着は持っているのではないでしょうか。これもシャネルの発明品です。それまで女性がブラックを身に付けたのは、使用人として働くときか喪に服すときだけ。そのブラックを、女性の美しさを引き立てるエレガントなドレスに仕上げました。

イヴニング・ドレス 1920年代後半 シャンティイレース、サテンのリボン、クレープ・デシン

女性に初めてショルダーバッグを持たせたのもシャネルでした。「両手が空くでしょ?」と。

「2.55」バッグ 1955-1971年 羊革のキルティング、メタル、回転式の留め具

ベージュとブラックのコンビパンプスも、彼女の工夫が詰まった一足でした。ベージュが脚を長く見せ、黒は傷を目立たせず、足を小さく見せてくれます。ストラップの位置や形状、ヒールの高さも計算し尽くされ、心地よく快適な動きを約束してくれるのです。

シャネルのクリエイション、マサロ制作 バイカラーのシューズの原型 1960-1962年頃 子山羊革、絹サテン

そして、シャネル・スーツ。これはもう伝説であり、現代の定番でもありますが、軽く柔らかく、動きやすくて華がある。これも偉大な発明品に違いありません。

テーラードのスカートとジャケット 左/1963-1964年秋冬 斑織りのツイードとブレード、メタル、絹ポンジー、
右/1960-1961年秋冬 パリ、パトリモアンヌ・シャネル

開発にあたってシャネルは、モデルたちに階段の上り下り、車高の低いスポーツカーへの乗降など、さまざまな動きを試させ、カッティングや縫製を工夫したといいます。

コルセット不要で着心地の良いジャージーやツイードの服、さまざまな動きまで計算したカッティング、両手を解放するショルダーバッグ、脚を美しく見せるパンプス。もちろん売るための工夫でもあったはずですが、身に付ける女性たちへの愛も感じるのです。 コルセットや膨らんだスカートを復活させて人気を博したディオールや、シュールレアリズムの影響を受けて奇抜なデザインを採用したスキャバレッリなど、同時代の復古的で豪華な、或いは派手な衣装とシャネルのデザインははっきりと一線を画すものでした。シャネルの美意識とポリシーは揺らぐことなく、あくまでシンプルでシックでエレガント。それは、彼女の作り出すすべての製品に共通していました。それもまた、不滅の人気の秘密なのでしょう。

《シャネル・スーツを着た女優エリザベス・テーラー、パリの車の中で》1960年頃

モードの女王が遺したことば

87歳で生涯を閉じるまでファッション界に君臨したガブリエル・シャネル。 最後のインタビューで「私だって、もっと美しい人生を送りたかった。お金や料理、お酒、人の悪口だけじゃなくてね」と語りました。シャネルほどの人が語ると、この世に完璧な幸福なんてないのだろうと妙に慰められるのです。 でも、「私の服を着た女性は美しかった」「私こそが、世界で一番女性を美しくした」と言い切った彼女。それはひとつの、大いなる幸福に違いありません。

ガブリエル・シャネルと「2.55」バッグ、1957年、マイク・ド・ダルメン

「20歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの人生。でも、50歳の顔はあなたの功績よ」。「女性が少しも身なりを整えずに街へ出てはだめよ。その日、運命の人と出会うかもしれないじゃない。だからできるだけ可愛くあるべきだわ」。

そんなことばも、エールとして受け取りたいと思います。

同展の音声ガイドは、受付近くのQRコードを読み取ることで入手でき、スマホで通話同様に聞くことができます。あの宮沢氷魚くんの涼やかな解説ですよ!

ショップでは、シャネルが好んで用いたリントン社製のツイード生地も販売しています。メーター1万円を超えるものも多いですから、スーツを仕立てようと思う方はキチンと用尺を計ってから出掛けましょう。

そうそう、共同執筆させていただいた『モネへの招待』も置いてありました。感謝を込めて思わずパチリ^^