「たまゆら あーと」Vol.10

イヴ・サンローラン展
時を超えるスタイル

皆さま、こんにちは。松井亜樹です。
『マダム・モネの肖像』(単行本2018年、文庫改訂版2020年、幻冬舎刊)では、クロード・モネと妻カミーユの出会いから別れまでを印象派誕生の軌跡と共に追いました。
こちらでは、開催中の展覧会やアートな話題をご紹介していきたいと思います。

国立新美術館で「イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」が始まりました。半世紀に渡って生み出された多彩なスタイルが一堂に会する大回顧展です。

「イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」公式カタログ表紙

今回はルック110体、アクセサリー、ドローイング、写真など262点の資料から、イヴ・サンローランの創造の全貌とその人生を浮き彫りにしています

「モードの帝王」誕生

1957年、弱冠21歳のイヴ・サンローランは、急死したクリスチャン・ディオールの遺志により、メゾンのチーフ・デザイナーに任命され、翌年の春夏コレクションで衝撃のデビューを飾ります。以降、女性のスタイルに数々の変革を起こし、「モードの帝王」として君臨しました。

ディオールのチーフ・デザイナー就任当時のイヴ・サンローラン

イヴ・マチュー=サン=ローランは1936年8月1日、仏領アルジェリアのオランに暮らす恵まれた家庭に生まれます。

イヴ・サンローランと母親のリュシエンヌ、オランにて
1930年代後半 撮影者不明 ゼラチン・シルバー・プリント

内気で繊細な子どもだったという彼は、13歳にして『愛について語るのはなぜ?』と『愛』という2冊の本を制作しています。展示されているのはその一部ですが(下記写真参照)、その難解なテーマと絵画的センスには脱帽です

そんな感受性と美意識を持つ少年はやがてデザイナーを夢見るようになり、16歳の頃には、11点のペーパードールに500点を超える衣装とアクセサリーを制作していました。

『愛について語るのはなぜ?』
1949年 グアッシュ、インク/紙 21.2×16.4㎝
スージーと他2人の名前のないペーパードールのためのワードローブ

1954年、パリの服飾学校で学び始めたばかりの彼は、国際羊毛事務局のコンクールに応募し、ドレス部門で1位と3位を獲得します。このとき『ヴォーグ・パリ』の編集長ミシェル・ド・ブリュノフと知り合い、クリスチャン・ディオールを紹介されるのです。

ディオールはサンローランの才能に惚れ込み、1955年夏、メゾンのアシスタント・デザイナーに迎えました。「クリスチャン・ディオールのもとで働くなんて夢みたいだった。私は彼を尊敬していました。……彼は私に芸術の根源を教えてくれたのです」。

1958年1月30日、ディオールの急死を受けてサンローランが初めて発表した春夏コレクション「トラペーズ・ライン」は大成功を収めます。流れるような無駄のないライン、身体を隠す緩やかなウエストは、クリスチャン・ディオールの「絞ったウエストにたっぷりしたスカート」というスタイルを抜本的に変えるものでした。

ヴォーグ・パリの表紙を飾った1958年春夏オートクチュールコレクション「トラペーズ・ライン」の「品行方正」シャツ・ドレス

「イヴ・サンローラン」のスタイル

ディオールのチーフ・デザイナーとして6回のコレクションを発表した後、1960年にサンローランは徴兵されてしまいます。心を病んで除隊になったものの、後任デザイナーにはマルク・ボアンが就任し、彼は解雇されてしまいました。傷心のサンローランは1961年、生涯のパートナーともなったピエール・ベルジェと、自身のオートクチュールメゾンを立ち上げます。

「イヴ・サンローラン」としての初コレクションは、開催前から大変な話題を呼びました。1962年1月29日、紺のピーコートとプリーツ入りのエレガントな白いパンツのルックで幕を開けたコレクションは「イヴ・サンローランの復活」と取り上げられ、「シャネル以来最高のスーツの作り手」と評価されたのです。

この初コレクションで披露されたルックは、まるでモデルたちがランウェイを歩いてくるように展示されています。観客席で眺めてるように楽しんではいかがでしょう。

ボーティング・アンサンブル ファースト・ピーコート
1962年春夏オートクチュールコレクション、顧客のための仕立服、アトリエ・ジョルジュ、アトリエ・バラ ウールのピーコート/シャンタンのブラウスとパンツ

こうしたパンツスタイルを、エレガントな女性のファッションとして確立したのもサンローランでした。それまで、女性のパンツスタイルは、例えば日本女性のもんぺのように、機能上致し方なく着用するもので、おしゃれ着としては受け容れられていなかったのです。

何とフランスでは、1800年にパリの条例で女性のパンツ着用が禁じられており、実に2013年まで法的には有効でした。フォーマルな席や格式高いレストランでは門前払いになっていたわけです。1960年代には、ピエール・カルダンのような売れっ子デザイナーでさえ女性のパンツ着用には難色を示していました。

けれども、サンローランのエレガントなパンツスーツを着たカトリーヌ・ドヌーヴらが、その古い概念を取り払っていきました。

1960~70年代は、世界中で若者がとても元気だった時代です。ベトナム戦争反対に端を発したアメリカの若者たちのカウンターカルチャーは世界中の若者に権威への反抗を促し、フランスでは1968年に5月革命が起こりました。それらの流れは当然、女性差別に対する抵抗にも繋がっていきました。

サンローランは時代の空気を的確に掴んでいました。「女性を目先の流行から解放し、彼女たちにより大きな自信を与えるためにクラシックなワードローブの基礎を与えること」を目標に、斬新に、ときにスキャンダラスにそれを具現化したのです。

ファッション界でも、限られた富裕層だけを対象としたオートクチュールに対し、より若年層に販路を広げるプレタポルテが台頭し始めます。サンローランはオートクチュール、プレタポルテ双方を牽引しましたが、1971年にはオートクチュールショーから引退すると発表し世界に衝撃を与えました。1973年にはまたオートクチュールショーを再開することになるのですが、それはあくまでブランドイメージを高めるための広報的な存在。サンローランは若者たちに着せるプレタポルテにも力を注ぎました。

パンツ、テイラードスーツ、ピーコート、トレンチコート、ジャンプスーツ、サファリ・ジャケット……。それらが、もともと男性だけのものだったなんて、現代に生きる私たちは容易に信じられませんね。

サンローランは、水兵の作業着からピーコートを、男性が夕食後に喫煙する際に着用したスモーキング・コートからタキシードを、飛行士や落下傘部隊のやはり作業着からジャンプスーツを、イギリス将校の防水コートからトレンチコートを、アフリカの宣教師の制服からサファリ・ジャケット着想し、それらの裾を優雅に広げたり、生地を工夫したり、柄や刺繍を用いたりして、エレガントな女性ファッションに仕立てたのです。そして、それらをコレクションの度ごとにアップデートし、浸透させていきました。

ジャンプスーツ 1968年秋冬オートクチュールコレクション プロトタイプ アトリエ・ジョルジョ ウール・ジャージー

美の怪物(ファントム)との対話

彼は、美を求めて空想の時空を自由に旅した人でもありました。主に書物から世界中の、或いは古代から現代に至る過去のスタイルを学び、それらのエッセンスを彼なりに咀嚼して創作に生かしています。

結果として多彩なファッションが生まれ、編み込みのあるキルティング・ジャケット、トーク帽やファーブーツ、飾り紐のベルト、ショールやスカーフの独特な装い方は、彼のコレクションのアクセントになりました。

舞台芸術や映画にも関心を寄せ、多くの衣装制作も手掛けました。残されたスケッチからは、彼が自在に想像の翼を広げる様子が垣間見えます。

『ジジ・ジュテーム』のレビュー「百万長者」における「ふしだらな女たち」のための衣装スケッチ(監督:ローラン・プティ、会場:カジノ・ド・パリ、パリ、1972年、インク、グアッシュ、サインペン/紙、50×64.9㎝)
『ジジ・ジュテーム』のレビュー「スルタンの目覚め」における「青いターバンを巻いたスルターナ」の衣装スケッチ(監督:ローラン・プティ、会場:カジノ・ド・パリ、パリ、1972年、インク、グアッシュ/紙、50×32.5㎝)

映画『昼顔』で、主演カトリーヌ・ドヌーヴ演じるセヴリーヌ・セリジーの衣装を担当したことは、その後の協働と友情の始まりにもなりました。

彼はまた芸術愛好家でもあり、「精神のアトリエ」でマティス、モンドリアン、ゴッホ、ボナール、ピカソなど、敬愛する美の怪物(ファントム)に囲まれることを喜びました。内なる対話と解釈によって、ファントムたちの作品がサンローランの創り出す三次元の作品へと変換されたのです。

例えば、サンローランにとってアイコニックな作品となった「カクテル・ドレス――ピート・モンドリアンへのオマージュ」は、若い顧客たちに瞬く間に受け入れられ大ヒットとなりました。

実はこのことが、サンローランだけでなくモンドリアンの名声も高めました。当時、フランスの美術館はモンドリアンの作品をあまり所蔵しておらず、この4年後の1969年に、パリで初めて個展が開催されたのですから。

これら、サンローランが美の怪物たちからインスピレーションを受けて制作したルックは1室に集めて展示され、ここだけは撮影可能です。お気に入りを見つけて来館の記録として撮影してみては。

カクテル・ドレス――ピート・モンドリアンへのオマージュ
1965年秋冬オートクチュールコレクション、顧客のための仕立服、アトリエ・ブランシュ、ウール・ジャージー

2002年、サンローランは創作活動に終止符を打ちました。その6年後、71歳で亡くなります。「流行は色褪せるが、スタイルは永遠」。これはシャネルの言葉ですが、イヴ・サンローランもまた、数々のスタイルをファッション史に残しました。

どんな場所へも、お気に入りのパンツを穿いて行ける。必要なときはジャケットやトレンチコートを羽織る。そんな私たちのワードローブこそが、イヴ・サンローラン最大のレガシーかも知れません。