新コラム【たまゆらあーと】Vol.2
グランマ・モーゼスからの贈り物
皆さま、こんにちは。松井亜樹です。 『マダム・モネの肖像』(単行本2018年、文庫改訂版2020年、幻冬舎刊)では、クロード・モネと妻カミーユの出会いから別れまでを印象派誕生の軌跡と共に追いました。 こちらでは、開催中の展覧会やアートな話題をご紹介していきたいと思います。
世田谷美術館で『生誕160年記念 グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生』が開幕しました(2022年2月27日まで)。 グランマ・モーゼスといえば、アメリカの田舎で農婦として務めを果たし、75歳にして初めて本格的に絵筆を握ると、全米から賞賛される人気画家となった女性です。彼女は101歳で天寿を全うしますが、絶筆は100歳のとき。まさに100年の現役人生でした。
農村への讃歌
グランマ・モーゼス、本名アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス(1860-1961)が絵筆を執ったのは、実はやむにやまれぬ事情から。リウマチを患い、大好きだった刺繍もままならなくなって、リハビリのために絵を描き始めたのです。けれど、人の手が生み出すものは何であれ、必ずその人の魂を宿しているもの。どうでしょう、写真でも伝わりますか? この素朴で朗らかで美しい作品の数々。 ◆作品画像
デッサンや筆遣いを学んだ画家たちとは違う素朴で自由な筆致。色鮮やかで輪郭のハッキリした画風は、彼女が得意だった刺繍を思わせます。描かれるのは、彼女が長年、バターを作りジャムを作り、石鹸もロウソクも手作りしながら親しんできた農村の風景と暮らし。画面に数多く登場する人や生き物たちは皆、それぞれ日々の営みに没頭しています。長年、農村での過酷な労働に従事してきた当事者だというのに、ミレーやゴッホが描いた苦しむ労働者というイメージはありません。登場人物たちは皆、いえいえ動物たちさえも、実に朗らかに農村に“生きて”いるのです。
厳しい人生が生んだ美しいもの
これほど穏やかで優しい絵を描くグランマですが、その人生は必ずしも穏やかで順調だったわけではありません。この時代、農村の少女たちは家でやるべき仕事がたくさんあって、小学校にもまともには通えませんでした。グランマは12歳で奉公に出ると15年間住み込みで働きます。農夫の妻となり、農場で共に働き、10人の子どもを授かりますが、4人を死産し、1人は生後半年で亡くしています。長い人生には、残った子どもたちにも先立たれることがありました。高齢になり、リウマチを患って大好きな刺繍もできなくなり、そこで絵と出合うのです。 彼女が重ねた苦労や悲しみを思うとき、その作品の飾らない美しさが一層心に迫ります。 ◆写真「制作中のグランマ・モーゼス」
戦争の時代の桃源郷
グランマが子どもの時分、アメリカでは南北戦争が起こり、農婦として忙しく働いていた頃、第一次世界大戦とそれに続く世界恐慌を経験しました。80歳で初の個展を開いた1940年には既に第二次世界大戦が勃発し、アメリカは参戦直前でした。彼女の亡くなった年には更に、ベトナム戦争にも参入しています。多くの人が理不尽に傷付き人生の目的を失い、また多くの人が大切な人を失う喪失感に苦しんでいたそのときに、素朴な農村生活を謳うように描いた優しい絵は、そっと悲しみに寄り添ってくれたかも知れません。それまで、農村の風景や暮らしを、これほど美しく描いた絵はほかになかったことでしょう。 ◆作品画像
彼女が、農婦としての人生を全うした女性であったことも、絶大な人気の秘密に違いありません。意外なことに、アメリカはジェンダーギャップにおいてはやや後進国でした。「新大陸」に入植し「開拓」を行う上では「男」の力が重要で優位にあったためです。近年、急速に女性の地位向上のための施策が打ち出されているものの、それはやはりこれまでの遅れを挽回するためと言わざるを得ません。もっとも、未だに後進国である日本の女性にそのように言われたくはないでしょうけれど。 そのような社会で、立派に農婦の務めを果たしたそのあとに、素晴らしい絵を次々描いて100歳まで人々を魅了し続けたグランマの生き方そのものが、賞賛と憧れの的になったのです。男たちは「妻として母としての務めをきちんと果たした。これぞアメリカ女性のあるべき姿」と思ったでしょうし、女たちは「こんな人生もあるのだ」「自分も好きなことを思い切りやってみたい」と夢想したことでしょう。
グランマの言葉
私などは、もし彼女が若いうちに絵の魅力と己の才能に気付いて描き始めていたら、と想像してしまうのです。でもきっと、農村の暮らしを知り尽くした老境の彼女でなければ、あの作品群は生まれなかったでしょうね。それでも25年間描き続け、1500点以上の作品を残し現役画家のままこの世を去りました。かのフェルメールは現在確認されている作品は32~37点(研究者によって見解が異なります)、マネの油彩画は400点余り、たった10年で精力的に制作に励んだというゴッホの油彩画が860点ほどですから、75歳から100歳までの作品数であることを考えると驚くべき創作意欲です。 最後に、展示後半に掲示されていたグランマの言葉を紹介しておきましょう。 「私の人生は、振り返ればよく働いた一日のようなものです。自分でもよくやったと思いますし、幸せで満足を覚えています。これ以上のものはなかったし、人生から最良のものを引き出したと思っています。そして人生とは、私たち自身がつくりだすもの。いつもそうでしたし、これからもそうなのではないでしょうか」 彼女の絵は、無心に何かに向かう楽しさを思い出させてくれます。私も久しぶりに絵を描こうか、アップルバターにも挑戦してみようかな。 ◆画像「アップルバター」
ショップでは、グランマもよく作っていたというアップルバターを買いましたよ。バターとはいうものの、水も砂糖も使わない、リンゴだけで作るジャムのことです。リンゴの種類によって味わいも異なるようですが、優しい甘みとしっかりした酸味があります。私の知っているものだと梅ジャムに似ています。バターをのせたパンケーキやチーズトーストにピッタリ! お肉料理やカレーやソースなどの隠し味にも使えるとか。 しばらく余韻を楽しもうと思います^^
※単発、シリーズ、養成系など講座ごとに費用が異なります。