「たまゆら あーと」Vol.17
没後100年の幕開けを飾る
「クロード・モネ—風景への問いかけ」展
皆さま、こんにちは。松井亜樹です。
『マダム・モネの肖像』(単行本2018年、文庫改訂版2020年、幻冬舎刊)では、クロード・モネと妻カミーユの出会いから別れまでを印象派誕生の軌跡と共に追いました。その後、芸術アエラなどで美術関係の記事を執筆しています。
こちらでは、開催中の展覧会やアートな話題をご紹介していきたいと思います。

アーティゾン美術館で「クロード・モネ—風景への問いかけ」展開催中です。

あまりに有名なモネ。2023年には「連作の情景」展でも取り上げました。今回は没後100年の幕開けを飾るにふさわしい名作が揃います。同時代の印象派画家作品との比較、当時普及していた写真との相互影響など興味深い切り口も。大好きなモネ作品、知らなかったモネに会いに行きませんか?
若き日の足跡
今回、ぜひ見ていただきたいのが冒頭に飾られた《ルエルの眺め》。現存するモネの油彩作品の中で最も古いものになります。この作品は実は日本にあるのですが、私も実物を見たのは初めてです。

1840年11月14日生まれのクロード・モネは、このときおそらく17歳。実物の表現力は想像以上でした。モネ作品の魅力は、色彩や構図のみならず、その巧みな筆使いにもあると常々思うのですが、17歳でこれを描いたとは。
もちろん印象派以前のモネですが、のちに「水のラファエロ」と讃えられたその片鱗も窺われます。作品を前にすると、そよ風に乗って鳥のさえずりが聞こえてきそうですよ。モネを戸外制作に連れ出した師匠のブーダン、バルビゾン派のコローなどの作品も並びますので見比べてみましょう。
豊かな白銀の世界
当時、モネにも影響を与えたであろう写真作品の展示に続き、印象派画家たちが描いた雪景色が紹介されています。古来、単調な白一色で処理されがちだった雪を、印象派の画家たちはどう描いたでしょうか。見どころはやはり《カササギ》です。モネの手にかかると、雪景色も何と豊かで魅力的なことか。

カササギは見つけられましたか?
同展ではテーマごとに作品を並べているので、雪景色のコーナーに1880年制作の《霜》があります。これは、最初の妻カミーユを病で失った直後の冬、セーヌ河も凍り付く大寒波の中に、モネが1人立ち尽くして描いたものです。モネには珍しい心痛を感じさせます。

都市の情景
次のコーナーにも傑作が並びます。まず、リゾートの光と風をはらんだ傑作《ロシュ・ノワールのホテル》。これを描いたとき、モネは普仏戦争への徴兵を逃れるためイギリスへ渡る機会を待ちながらトルーヴィルで制作していました。そんな焦燥は全く感じさせない、明るくのびやかなリゾート風景です。この建物は現在もそのままの形で保存されています。

そして《アルジャントゥイユのレガッタ》。

まさに印象派の面目躍如といった作品ですね。画家を目ざして以来、前半生は貧困に付きまとわれたモネですが、1870年代の一時期は作品も売れ、パリ近郊のセーヌ河沿いの街・アルジャントゥイユでつかの間の満ち足りた暮らしを満喫しました。《ひなげし》などの傑作のほか、近代科学の象徴・鉄道橋やパリっ子たちのボート遊びなど、170点に及ぶ作品を生み出しています。

モネといえば、《睡蓮》などの連作がよく知られていますが、その萌芽は1877年にパリで描いた一連の《サン=ラザール駅》にも見られます。「大気」を主題にするというかつてないアプローチで、近代風景を魅力的に仕上げています。

《パリ、モントルグイユ街、1878年6月30日の祝日》を見て、どんな感想を持たれますか? 風にはためく無数の旗に、心が躍るようですよね。モネは、別の通りで同様の作品をもう1枚描いていますが、これを最後にパリ市街の風景を描くことはありませんでした。その後は田舎に残る自然の風景、最後は池の水面や睡蓮だけに心を奪われていきます。この無数にはためく旗は、モネ自身のパリへの決別のようにも見えるのです。
妻カミーユとの別れ
次のコーナーには、パリに別れを告げたモネが、ヴェトゥイユなど田舎で描いた風景と、「描かずにいられなかった」《死の床のカミーユ》が並びます。

モネは風景画家として知られていますが、初期には人物画も描いていました。今回出展されている《昼食》のほか、《草上の昼食》や《ラ・ジャポネーズ》、《緑衣の女》、《ひなげし》など、人物モデルは妻のカミーユが務めたものでした。そのカミーユが1879年9月5日、幼い2人の息子を残し、ヴェトゥイユで亡くなりました。
「私にとって最愛の人だった、そしてこれからもそうであり続けるに違いない死んだ妻の枕元にいたときのことだ。私はじっとその悲劇的な眠りに釘付けにされていた。そして、ふと、私の目が死者の顔に現れた色彩の微妙な変化のさまを追っていることに気付いた。青、黄、灰色の色調。私は何ということをしているのか。私たちのもとから永久に去っていく彼女の姿を心に刻み付けておきたいという望みが私の中に大きくなっていたのはもちろんだ。しかし、私にはむしろ、私にとってあれほど大切な、すみずみまで熟知した顔を描きとめようと考えるより前に、知らず知らずのうちに、その色彩が私に有機的な感動を呼び起こし、自分の意思に反して、反射的に私の日常を支配していた無意識の行為を行っていたのだ。あたかも、石臼を回し続けるあの動物のように。私を憐れんでください——」。モネはのちにそのように友人に語ったと言います。カミーユは最期まで、モネのモデルだったのですね。
下塗りなどせず、まっさらのカンヴァスにいきなり描いたのでしょう。カンヴァス地が見える薄塗りで、達人ともいえるモネの筆さばきも乱れて見えます。モネは生涯この作品を手放さず、生前には展示することもありませんでした。その心情と画家の業が胸に迫ります。
同じものの異なる表情を捉える
1883年に移り住んだジヴェルニーで、モネは積みわらを繰り返し描きます。時刻や季節で異なる光の効果を、カンヴァスに留めておこうとするかのように。それは、《ポプラ並木》《ルーアン大聖堂》《ノルウェー》《セーヌ川の朝》《睡蓮の池》《ロンドン》と続き、晩年の《睡蓮》に結実します。西洋美術には珍しかった全く同じ構図による「連作」は、モネの鋭敏な感覚と豊かな表現力を示すものでした。
今回は、《ルーアン大聖堂》が2点並びます。同じモチーフが、まったく違う作品に仕上がっていますね。その巧みな描き分けをご覧ください。


左/《ルーアン大聖堂 扉口 朝の太陽》1893年 オルセー美術館、右/《ルーアン大聖堂 扉口とサン=ロマン塔 陽光》1893年 オルセー美術館
睡蓮の画家へ
1883年に移り住み、1890年には買い取ったジヴェルニーの庭を、モネは自身のパレットのように花で埋め尽くしました。1893年には南側に広大な土地を買い足し、セーヌ河の支流から水を引いて池を造りました。広重の浮世絵で見た太鼓橋と藤棚、周囲にはしだれ柳を配し、池には睡蓮を浮かべました。
今回、《睡蓮の池、緑のハーモニー》が来日しています。現実の庭以上に緑が支配する、それでいて睡蓮も水面も柳も巧みに描き分けられた美しい作品です。

今回、オルセー美術館から来日したモネ作品は41点。アーティゾン美術館ほか国内のモネコレクションからの出品や、モネ以外の印象派画家作品、同時代の写真やジャポニズムを巻き起こした浮世絵など、合わせて約140点の展示でモネ芸術を紐解いています。
恐らく連日大変な混雑ですが、お目当ての作品をどうぞお見逃しなく!